誰もが考えれるって哲学

②誰もが考える能力を持っている。
考える能力とは、交流分析ではAがしっかりしているという事になるのであろうか?
Aとは総合分析する思考、感情、行動の起点であり、その人物の集大成ということになる。
考える能力はもっているが、それがどの程度考える能力があるかは分からない。分からないが、自発的な思考は存在するということであろうか?
交流分析は、2級講座をうけていて、私個人的な印象なのだど、「ちょっと否定的な感じ」なんである。
どこが否定的?といわれると心理ゲームとか、ラケット感情とか具体的な項目だとそんなとこだけど、とにかくなんとなく否定的な印象がある。
心理がつくられる過程において、言い換えればCの段階において人格形成がうまくいかないような事柄が必ず入ってくるのが前提のような感じ、そんな人格否定があたりまえのことであるかのような常識があるような空気感。時代背景なのか?それとも和訳したことによる言葉の印象なのか?
実際、バーンとあった事もないし、映像をみた事もないのでほんとに印象だけの話なのであるが。

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