施術家への道

IMG_0500

私は18歳からこの世界にはいりました。

「夢」抱いて、この世界に入りました。

「夢」とは、「すごい施術家になる!」みたいな感じでした。

若いですよね。

でも、いまも基本的に「夢」はかわってないです。

私の施術家歴史を紹介いたしますね。

私は19歳の時に整体の学校にはいりました。

整体の学校で、中国の医師の先生から、東洋医学や推拿を学びました。

私は、整体の学校で勉強している時から、整体の学校が経営するお店で、働かせてもたっていました。

深夜まで働けるお店だったので、朝は学校、昼から仕事でした。

仕事の内容は、整体+マッサージでした。

マッサージは強もみのマッサージの人が多かったので、指が腫れ上がってしまいました。

痛くて曲げれなくなりました。

忙しい週末は朝から晩まで働くこともありました。

18歳から25歳ぐらいまで、こんな生活をしていました。

深夜まで働いて、中華を食べると・・・。いろいろなストレスがかかって・・・。

体重が20キロふえました。高校卒業時68キロが94キロまで太りました。

94キロやばいな・・・。三桁までもうすぐ・・・!

もがいて、あがいて、はいつくばって、それでも やる!
バカにされて、理解されず、女の子にももてないけど・・・でも「夢」を追いかけてやる!。

私の父親は、息子が何をしているのか分からないので、「なんで大学にいかないんだ?いいとこに就職しろ!」みたいな感じでした。
友人には、「整体ってなに?」「揉むの?」「気持ちいいの?」「何それ?」みたいな感じでした。

私の「夢」とまわりとのギャップがあるなぁと・・・。

でも、この時期すてきな出会いも、いっぱいありました。

つらい時期ほど、すてきな人に会うのかもしてませんね。

いまでもお世話になっている、A先生、N先生、K先生、S先生、I先生、O先生。

支えてくれる仲間達、ともに動いてくれる仲間たち。

ひとりじゃないんですね。
IMG_7653

人をかえていくのは、結局「出会い」なのかもしれません。

人に導かれて、新しい門をたたく。

新しい出会いがあり、刺激がある。

自分をかえていける。

成長させてくれる。

施術レベルを維持していくのは、とっても難しい。

維持しているつもりでも、たいがいレベルは落ちていくものだから。

いろいろな療法や手技を勉強するも、そのためです。

34歳の時、今から2年前、「武術」と「医術」の違いを研究し始めました。

なぜかというと、施術する時に、どうしても「自分の体」をうまく使えないといけないと思ったからでした。

新陰流、八光流等の武術をやりながら、自分の体をすこしずつ変えています。

「武」と「医」

同じところもあるけど、違うもの。

毎日の鍛錬をしながら、施術レベル、人間レベルをあげるために精進していきます。

一つの事に集中して、突進していく猪みたいな、いやサイみたいな男ですが、よろしくお願いいたします。

              齋藤正憲

サブコンテンツ

このページの先頭へ